研究者を目指す者なら、避けては通れないのが学振のフェローシップだ。

僕も例にもれず、これまでに三回、学振を争った。幸運にも僕は、2009年DC1、2012年PD、2015年海外PDと採択され、これまで研究を続けることができた。その過程で悩み、苦しみ、そして研究者として成長させてもらったと思う。

今年、2017年で海外PDの期間も終了した。これまでの感謝と、これから学振を争う後輩への激励を込めて、僕の申請書の書き方と選考での経験をまとめておきたい。僕の研究は、化学・生物学分野の応用研究なので、近い分野の後輩の参考になればと思う。


本題に入る前に、他にも学振関係の記事を書いているので紹介したいと思います。ぜひそちらもご覧ください。

学振制度について知る

申請書を書く上で重要な一般的注意事項


僕がPDや海外PDの受入先を選んだ時の話

業績が少なく不利な状況からの逆転を目指す人のために

申請書の書き方についてもっと具体的に知りたい人には

面接に回されてしまったら・・・


それでは、本題です。

受入先研究室をどう選ぶか


申請書を書く以前に、勝負は始まっている。

学振PDでは、受入先研究室を大学院時代とは違う研究室に移ることが求められる。また、海外PDでも受入先をどう選ぶかは、研究者人生にも影響する大きな問題だ。

僕の場合、学振PDの時の受入先の選定は「いかに自分の強みを活かすか」ということを第一に考えた。僕は大学院時代は、有機合成をベースに生物系での新しい分光学的分析法を開発する、という研究をやっていた。その背景を活かすため、受入先は生物系の研究室を選び、自分の開発した分析系の発展と応用を目指すことにした。

そこで、当時の指導教官に頼んで、バイオ系のその分野では有名な先生を紹介してもらい、受入先となってもらった。

結果として、僕は化学系から生物系へ大きく分野を変えることになった。新しい分野に慣れるのは時間と労力が要るが、一方でメリットもあった。まず、学振の申請書に「新しい分野への挑戦」や「受入先でのコラボレーション」などを強調できたこと。他にも、受入先研究室では最も有機化学に詳しい人として容易に自分の地位を確立できた。もちろん、生化学と分子生物学の技術も学べた。

学振PDは、書類選考で採用が決まった。

すでに確立した自分の独自技術から出発したので、ゼロから系を立ち上げるのに比べて、結果が早く出せたのも良かった。分野を変えたにも関わらず、学振PDの1年目の終わりには論文が書けそうなデータが揃ってきていた。

そこで、学振PDの後半1年半は、海外留学に行くことにした。

学振PDでは、3年の期間の半分まで海外で過ごすことが許されている。ただし、1年半という期間は、しっかり研究成果を残すには短いので、これと2年間の海外PDを組み合わせることで、3年半の留学期間を確保しようと考えた。




そこで、留学先は海外PDへの応募を前提に、どんなプロジェクトが提案できるかを考えながら探した。理由あってボストン周辺に絞って、いくつかの研究室にインタビューに行ったが、ラボ選びの決め手はやはり「いかに自分の強みを活かすか」だった。

留学先は、プロテオミクス技術を持つ30代半ばの若い教授のラボを選んだ。そこで行う研究として、これまで僕が対象としてきた生命現象を、プロテオミクス的な新分析法を取り入れることで、別の角度から解析することにした。しかも、その新しい分析法は有機合成を使って独自開発することにした。

自分と留学先の強みを合わせて新しいことをする、というのは申請書のストーリーとして、大変分かり易い。

さらに、海外PDの申請時は、僕はすでに海外の受入研究室に所属して、半年ほど研究を進めた状態だった。受入先のボスと研究内容を良く練って、すでに初期検討の結果も持っていたので、具体的な研究計画を提案できた。

ただし、前ラボでの論文が海外PD申請までに間に合わなかったこともあって、書類選考で決めることができず、面接に回されてしまった。わざわざ日本まで4分間の面接に行くのも面倒くさいが、仕方ない。

面接の結果は、採用だった。今思えば、書類に関しては反省する部分もあるが、そのおかげで久々の友人達と連日呑めたので、これもまた良かった。

書類や面接については、またの機会に。